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【コナン】降谷零の一人称は俺/僕どっち?徹底考察してみた!

 

今や社会現象を起こす男・安室透

ご存知の通り彼の正体は公安警察官・降谷零であるが、降谷の一人称が謎すぎる

安室やバーボンの一人称は一貫して「僕」である。ところが降谷零の一人称は「僕」だったり「俺」だったり「私」だったりと、まちまちなのだ。

たかが一人称、されど一人称。「僕」と「俺」ではかなりイメージが違う。

降谷零のパーソナリティを探るうえでハッキリさせておきたいところである。

そこで今回は降谷零の登場シーンを洗い出し、彼の一人称について考察してみた。

↓安室モードのときは爽やかに「僕」で通しているが…

 

忙しい人向けに、この記事の要点を先にお伝えする。

  1. 基本的に降谷の一人称は「僕」
  2. 動揺すると「俺」説
  3. スコッチを思い出すと「俺」説
  4. 特に決まっていない説

 

以下で詳しく見ていこう。

 

作中に登場した降谷零の一人称

まず作中で使われた「降谷零」としての一人称を時系列で挙げていく。

尚、今回は「名探偵コナン」原作コミックス、劇場版名探偵コナン、「ゼロの日常」を対象とした。

劇場版パラレル説やスピンオフでの描写をどこまで公式とするかなど人それぞれ考え方は違うだろうが、この記事ではすべて同じ世界線の出来事として話を進めていく。

 

初めての降谷の一人称は「俺」

降谷の一人称を初めて確認できるのは、原作コミックス85巻/アニメ782話「緋色の帰還」。

沖矢昴(に扮した優作を赤井だと思いこんで)に対して「私」と言っている。

降谷「現在、私の連れがあなたのお仲間を拘束すべく追跡中…」

出典:名探偵コナン85巻 ©Gosho Aoyama 2014

 

次の話、原作コミックス85巻/アニメ783話「緋色の真相」では、赤井との電話で「俺」と言っている。

(楠田陸道が自殺に使用した拳銃について)

赤井「入手ルートを探れば何かわかるかも知れん…ここは日本…そういう事はFBI(われわれ)より君らの方が畑だろ?」

降谷「まさかお前、俺の正体を!?」

出典:名探偵コナン85巻 ©Gosho Aoyama 2014

 

この事から、85巻発売の2014年時点では「ONは私・OFF降谷は俺」もしくは「赤井に対してだけ俺」と解釈するファンが多かったように思う。

 

降谷=俺でも、対赤井=俺でもなかった

ところがそんなファンの解釈を覆したのが、2015年の劇場版名探偵コナン「純黒の悪夢」である。

降谷は赤井に対して「例え僕が死んでも、あの女は公安が奪う!」と言っているのだ。

セリフからもわかるように、この時の降谷は公安として動いている。つまり安室でもバーボンでもない。紛れもなく「降谷零」なのだ。

それにもかかわらず一人称は「僕」である。しかも赤井に対して「僕」と言っている。

降谷状態での「僕」呼びは、2018年の劇場版名探偵コナン「ゼロの執行人」においても同様だ。

「ゼロの執行人」での降谷は、一部のシーンを除いてほぼ降谷零として描かれている

下の動画冒頭の「僕には命を懸けて守らなければならないものがある」というセリフも当然、公安・降谷零としての信念である。

 

以上2つの劇場版で、「OFF降谷モードの時だけ俺」説も「赤井に対してだけ俺」説も違うことが明らかになった。

では、降谷はいったいどのような基準で「俺」と「僕」を使い分けているのだろうか。

 

公私で使い分け?

ここで考えられるのが、公私で「僕」と「俺」を使い分けている説だ。

降谷零モードでも、仕事中は「僕」プライベートは「俺」と使い分けているのだと。

しかし降谷が主人公のスピンオフ「ゼロの日常」連載が始まったことでその説も消えた。

ゼロの日常1話で、車内に一人でいる降谷は以下のように呟いている。

降谷「本来の僕ならば…いつも思う…赤井秀一…お前のことを忘れられたらって―」

出典:ゼロの日常1巻 ©Takahiro Arai 2018

車内に一人、つまりゴリゴリのプライベート空間である。この場面は降谷零のプライベートな一面と捉えて良いだろう。

更に8話では、後に飼うことになる安室の犬ことハロに対して下のように語りかけている。

降谷「君か…僕の車に足跡をつけたのは!」

出典:ゼロの日常1巻 ©Takahiro Arai 2018

この時、周りには降谷のほかに誰もいない。

当然、犬に対して公安として接する必要は皆無だ。これもまたプライベートな降谷零の一面なのだろう。

この他に9話と10話でもハロに対して降谷は「僕」と言っている。

このように「ゼロの日常」では何度も「降谷零」がプライベートな場面で「僕」と言っている。

それまで有力だった「公私で使い分けている説」はこの時点で消えたと言える

「公私使い分け説」には自信があっただけに筆者は軽くショックを受けた。もうサッパリ訳が分からないのである。

さては降谷、トリプルフェイスの疲労で二重人格的な症状が出てしまっているのか…?

とトンデモ予想をしてしまいたくなる。が、もう少し真面目に考えてみよう。

 

結論:降谷の一人称は「僕」

ここまでを振り返ると、降谷零の一人称は基本的に「僕」であると結論づけて良いだろう。

「僕」がデフォルトで「俺」がイレギュラーなのだ。

では、降谷の一人称が「俺」になるのはどのような状況だろうか?

 

動揺すると「俺」説

ここで、降谷の一人称について改めて整理してみよう。

  • 降谷が「俺」と言ったのは緋色回・赤井に対してのみ
  • しかし「純黒の悪夢」では赤井に対し「僕」と言っている
  • つまり「俺」と言った理由は”相手が赤井だから”ではない

 

だとすると、外部要因ではなく内部要因、つまり降谷の精神状態で一人称が変わるのではないだろうか。

もう一度「俺」シーンを振り返ってその背景を考えてみよう。

「俺」シーンの3コマ前。赤井の声を数年ぶりに聞いた降谷の顔が怒りに満ちているのがわかる。

出典:名探偵コナン85巻 ©Gosho Aoyama 2014 


赤井の喋りがやたら挑発的なのがツボ。

このように怒りに震えてる状態で、天敵・赤井が自分の正体を見破っていたと知ったのである。

さすがの降谷とはいえ気が動転するだろう。

つまり、降谷の一人称は原則「僕」だが、激しい怒りに駆られたり想定外の出来事で気が動転しているときには「俺」になってしまうとは考えられないだろうか。

普段の降谷は冷静沈着に見える。

だが圧倒的理性で抑えているだけで、本来は感情が豊かなタイプなのかもしれない。

 

スコッチを思い出すと「俺」説

初めに断っておくが、これから述べる内容は仮説に仮説を重ねたものであり確度は低い。

いわゆる妄想臭が強いので気をつけてほしい。

妄想を読みたくない方はブラウザバックをお勧めする。

OK?


上記の「動揺すると俺」説をさらに拡大して考えてみる。

気が動転しているとはすなわち素が出ているということだ。

  • 自分のことを「僕」と言う
  • 冷静沈着

 

が仮に警察学校入学以降に意識して培った人格だとすると、

  • 自分のことを「俺」と言う
  • 喜怒哀楽が激しい

 

が高校生以前の降谷つまり降谷の素の人格だと考えられないだろうか。

ご存知の通り、降谷は赤井に並々ならぬ怒りを抱いている。その根底にはスコッチの死がある。

「緋色の真相」での赤井と降谷のやり取りの直後、作中で初めてスコッチの存在が仄めかされる。赤井の声を聞いた降谷は条件反射的にスコッチのことを思い出したのだろう。

スコッチは降谷の幼馴染であり、幼少期から共に過ごした。

その頃の一人称が「俺」だったとしたら、降谷の中でスコッチの存在と「俺」という一人称が紐づいているとも考えられる。

29歳の降谷の一人称は基本的に「僕」であるが、スコッチのことを思い出すと彼と一緒に過ごした学生時代の気分がよみがえり「俺」と口走ってしまうのかもしれない。

仮にこの説が正しいとすれば、なんとも切ない話だ。私のような悲劇で魂を揺さぶる人間ホイホイのエピソードである。

 

完全な蛇足だが、ここまで書いてふと越水七槻と降谷がリンクした。彼女もまた降谷と同じく親友を自殺で失っている。

高校時代は「ボク」成人後は「私」と一人称が変わった過程に、彼女の悲しみや恨み・復讐の覚悟など様々な思いがあったのだろうと勝手に感じてしまう。

 

私個人としてはこの「スコッチで俺説」を推している。

スコッチびいきということもあるが「俺」から「僕」に変わった経緯を見られたらますます降谷というキャラを深堀りできそうで胸が躍るのだ。

答えは警察学校編で明かされることを期待している。

2019/9/26追記

サンデー43号の警察学校編予告を見る限り、警察学校入学時点では既に「僕」ですね。「俺」「私」は超レア中のレアだったということなのか…?

 

メタ的な話。特に決まっていない?

少し方向性を変えて、メタ視点で降谷零の一人称について考えてみよう。

実は「名探偵コナン」においてキャラの呼称が定まらないのはよく見られる傾向とも言える。

以下は二人称であるが、一例をあげておこう。

  • スコッチ→降谷:ゼロ、降谷
  • 園子→新一:工藤君、新一君
  • 秀吉→由美:由美さん、由美タン
  • コナン→栗山:栗山さん、緑さん

 

他にも同じ事例は多数ある。降谷零の一人称が定まらないのも、コナン界ではごく自然なことなのかもしれない。

ちなみに幼少時の降谷の一人称は「ボク」である。幼少時の一人称については今回触れないが、「僕」ともまた少しニュアンスが違ってくる。

上記のことから、公式サイドが降谷含めキャラクターの呼称にこだわっていない可能性も考えられる。

ストーリーに合わせてその都度呼称を決めていたら違いが出てしまった、だがストーリーの根幹に関わる問題でもないのでどちらでも良い…というスタンスなのかもしれない。

例外として歩美→灰原はわざわざ1つのエピソードを使って「灰原さん」から「哀ちゃん」に呼称が変わる過程が描かれた。歩美との関係性は灰原の精神面に大きな影響を与えている。

 

また「ゼロの日常」1巻では、降谷→風見の呼称がサンデー掲載時の「お前」から「」へ修正されている。これは「名探偵コナン」本編94巻に合わせたのだろう。

逆に言えば、このように描かれない・修正されないキャラクターの呼称は重要視していないのかもしれない。つまり、降谷零の一人称もどちらでも良いのかもしれないのだ。

 

いずれにしても上記はすべて一個人の妄想であり、真相は神(公式)のみぞ知るところである。

公式が重要視していない要素について私のようなオタクがあれこれこねくり回し行き過ぎた妄想・拡大解釈をしてしまうことはよくある。

この記事も多分にその要素を含んでいることを最後にお伝えしておきたい。

メタ視点を持つと冷静になれる。メタ視点を持ちつつも敢えて真正面から公式に転がされにいくのが私は好きだ。

もちろん作品の楽しみ方は人それぞれで良い。しかしメタ視点を持ち、ネットで発言する前に一旦冷静になれる人が増えれば、コナン界隈の公式凸や炎上といった騒動も減るのではないだろうか。

 

降谷零の一人称まとめ

以上、降谷零の一人称についての考察をお届けした。この記事の要点は以下の4点だ。

  1. 基本的に降谷の一人称は「僕」
  2. 動揺すると「俺」説
  3. スコッチを思い出すと「俺」説
  4. 特に決まっていない説

 

「名探偵コナン」原作では、今までほとんど描かれなかった「降谷零」としての降谷の活躍が期待できそうだ。

「ゼロの日常」でも警察学校編など降谷のパーソナルな部分が明かされることが予想される。

これからも降谷零の一人称に注目し、ますます彼の魅力を探っていきたい。

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